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第8話 reincarnation

あれからなんだかんだいって、私が生まれ変わってから、もう5年も経ちました。
時の流れって、めちゃくちゃ早いね。





第8話





私が生まれた病院。
私は3か月そこで過ごした。

母は毎日私に笑いかけ、父も仕事が忙しいだろうことが伺い知れるのに、毎日毎日顔を見せに来た。
私と母がいる病室は、個人部屋にしては広くて、しかも豪華な気がする。(後で知ったことだけど、VIPルームだったみたいだ)
そんな、私と母だけの病室に、父以外の人が来たことがあった。
その人のことを「晃」と母と父は呼んでいた。
透のお父さんだ。

なんでも父と透のお父さんは、小学校時代からの腐れ縁のようなものがあるみたいで。
意図せずして住んでいる家も、子供が生まれた日も、病院さえも揃ってしまったのだと。
腐れ縁もそこまで行けば運命だ。

父よ、それは定めだ、諦めろ。

父も透のお父さん……改め晃さんも結構な資産家で、手を組んで仕事もしたことがあるんだと。
今では家族、親戚ぐるみで交流を持っている。

晃さんは、まるで私と透が姉妹であるかのように扱ってくれる。
晃さんが私たちの病室に来た2日後、こちらの世界で初めて透と会った。

やっぱり透も赤ん坊だから、もちろん話せるわけもない。
ただ、なんて言ってるかはなんとなくわかるもので。


ねえ、私たちの両親ってさ
うん
……顔、綺麗だよね
本当だよ
晃さん、格好いいね
雅人さんもめちゃくちゃ格好いいよ
母さん達は美人だしさ
……私も綺麗になってるといいなー、とか
思っちゃうよね

まぁ、今顔見ても分んないんだけどさ


赤ん坊だからね。

私たちはアイコンタクトなるものを、このとき習得したと思う。
人間迫られれば、やるときゃやる生き物なのだと、感慨深くなった。

見つめ合って、じっと動かないわが子たちを見た両親の反応は「あらあら、あの子たち仲良しさんねー」だった。




アメリカ生活は最初は困難をきたした。
両親も晃さんたちも、普段は日本語を話してくれる。
家ではオール日本語だ。
でも家を一歩でも出たら、そこは外人さんの住まう場所であった。
単語単語なら何とか拾えるのだが、いかんせん話すのが早すぎてヒアリングが大変だった。
ただ、赤ん坊の脳はもの覚えがいいのか、一度覚えたことはなかなか忘れなかったし、頑張ったおげで1年でほぼ英語を習得できた。

最初の1年は母も産休を取っていたが、さすがに忙しいのか産休期間が終わったらすぐに仕事に戻ってしまった。
透のところもそんな感じだったのか、私たちは同じ日に同じアメリカの幼稚園へと通わされることとなった。

いやー、幼稚園ってあれだね。
幼稚園がどうこうってことじゃなくて、幼児たちのことなんだけどさ。

恐いねあいつら。

幼児と思って侮っちゃいけない。
あいつらはすごく危険だ。
しかも周りはみんな外人の子供。
本当に同い年なのかと思うくらい背が高かったりする。
それになんだか話に入っていきずらい。
だからか、必然的に私と透は常に一緒だった。

そんな毎日を繰り返して、早5年。
私たちももう5歳である。
本当に早かった。

そして5年、何事もなかった私たちの生活に変化が訪れた。
私の家のお隣に、お隣さんが引っ越ししてきたのである。





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